川端康成『山の音』、立原正秋『鎌倉夫人』、永井路子『北条政子』、渡辺淳一『失楽園』…。鎌倉は「数え切れないほど」(鎌倉文学館)の文芸作品に舞台を提供している。
「だけどマンガの舞台になるのは珍しいのじゃないでしょうか。マンガにとっては穴場だったんです」
超ロングセラー『鎌倉ものがたり』の作者、西岸良平さんは言う。
『鎌倉ものがたり』は、鎌倉在住の若き推理作家、一色正和と、明るくかわいらしいがおっちょこちょいの妻、亜紀子が主人公。
《ずっと前からあこがれていた古都鎌倉で暮らせるなんてまるで夢みたい…》
第一話で亜紀子が語るように鎌倉は魅力的な街だ。旧住民の一色が新住民の亜紀子を鎌倉案内するのも醍醐味。鎌倉のそこここを舞台にした難事件を、一色が鋭い推理で解決するマンガ版ミステリーロマンだ。
長谷大仏、鶴岡八幡宮、江ノ電、由比ヶ浜、鎌倉警察署、小町通りなど、現実のスポットが随所に登場し、「ああ、あそこだ」とうなずくこともしばしば。
双葉社の連載担当、林克之さんは「ミステリーの面白さと、目でみるマンガの面白さが結合したところが、根強いファンがいる理由ではないか」とみる。
鳩サブレー、梅花はんぺん、あがり羊羹といった実在の食べ物や店も出てくる。鎌倉に出かけて作品に登場するスポットや食べ物を撮影し、ホームページで紹介するファンもいるほど。マンガを通じ、鎌倉の魅力が伝わっていく。
長年、青年誌に連載されてきたが、若い女性ファンも多い。一色夫妻が「住む」鎌倉市長谷一丁目に、家探しをした人もいる。
ただし、『鎌倉ものがたり』を単なる推理小説のマンガ版と思うのは間違い。この「鎌倉」は、現実と幻想が混在する世界でもある。八幡宮や河童、鬼、幽霊、天狗、人魚、人を化かすタヌキといった魔物がたくさん登場するのだ。
一色は亜紀子に《この鎌倉の土には大勢の人々の魂や欲望や怨念が眠っているんだ。それが周囲を山と海に囲まれたこの土地に長い間つもりつもって蓄積して…。時々不思議な怪異となって現れて我々の心を惑わせたりする事もあるんだ》と語りかける。
剣道三段の一色が、夜な夜な人を襲うユニコーン(一角獣)と戦ったり、人間に化け、話もできるタヌキを虐待する悪人を捕まえたり。魔物たちは専用テレビ局まで持ち、人間と一緒に和菓子を買うなど、どこか憎めない性格。
西岸さんは「鎌倉を異界の者と人間のコミュニティーとして描き、自然と人間の共存を描きたかった」と語る。
十七年前、湘南のある街に引っ越してきた西岸さんは「地元を題材に作品を描こう」と、学生時代よく訪れた鎌倉を選んだ。
連載と並行して、鎌倉を足しげく散策する。神社仏閣や骨董屋、料理店のほか、住宅が並ぶ静かな路地へも入っていく。そんなところでこそ、作品のアイデアが浮かぶのだろうか。
十七年間も続くロングセラーになったが「鎌倉は土地に歴史があって、ほんとに奥が深い。古いものと新しいものが狭い地域に押し込まれ、ほどよくまじり合っている。それでいて落ち着いてる。同じ場所でも、季節ごとに印象がまるで違う。鎌倉を選んで成功だった」という。
まだまだ楽しい作品が生みだされそうだ。
最後に、主人公が横浜を舞台に活躍することはないのか、なぜ鎌倉なのか作者に聞いてみた。
「一色先生が和服で横浜を歩き回ったら、目立ち過ぎてしまいます。鎌倉ならちっとも違和感がありませんからね」
やはり、鎌倉でないといけないようだ。
(榊原智)
|